赤レンガ保存実行委員会/龍ケ崎

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近代化遺産として

明治の近代化と煉瓦-旧諸岡家の門柱と塀-

土浦市文化財保護審議委員会委員 神戸信俊

明治維新後、政府は国つくりの基本に近代化を揚げ、その規範を西欧に求めた。それは政治・経済・教育から科学技術まで、あらゆる分野に及んだ。建築の分野で政府は、英国からJosia Konder(ショサイア・コンドル)を工部大学校の教師として招聘し、日本人の建築教育に当たらせた。その中から辰野金吾や片山東熊など、日本近代建築黎明期の名建築家が輩出された。辰野は東京駅や日本銀行、片山は東宮御所(赤坂離宮)を、Konder本人は、ニコライ堂や鹿鳴館を手がけた。これら西欧の意匠を範とした建物は、近代化の象徴として、中央政府役所・学校・生産施設、その他財閥や元勲の邸宅などにも取り入れられた。これらはやがて地方にも及ぶことになる。この地では、旧龍ヶ崎役場・旧龍ヶ崎中学講堂・旧龍ヶ崎警察署などがその例である。また建築・土木分野の素材に新たに煉瓦・鉄・コンクリートが導入され、近代化を象徴する材料となった。当初は英国などからの舶載品であったが、需要の増大と技術の向上もあり、明治中葉渋沢栄一が煉瓦国産化計り、埼玉県深谷に日本初の煉瓦工場を造った。その後地方でも煉瓦の生産が出来るようになり、この地方では、旧水海道の五木宗(五木田氏)によって煉瓦の生産が始まった。

この様な状況の中、当地の旧諸岡家の門柱と塀は、地方の有力者の邸宅に取り入られた例である。個人のもので、洋風意匠・煉瓦造の門柱・塀の例では意匠・規模は勿論のこと、特に門柱の意匠の秀逸さは県内に比肩できる例は無い。旧諸岡家の煉瓦造門柱・塀は、一般的にいう文化財の範疇だけのものではなく、日本の近代化遺産としても位置づけられる大変価値あるものである。上野の旧東京音楽学校(現東京芸術大学)の煉瓦の正門と比較すれば、その価値は一目瞭然である。因みに、旧諸岡家以外にもこの地方の煉瓦造建造物の例を挙げてみる。五木宗(国登録文化財 旧水海道)・旧竹内農場(龍ヶ崎市)・煉瓦蔵(5~6棟 土浦市)・閘門(土浦市)・長屋門(旧江戸崎)・青柳家塀(石岡市)・冷水家塀(石岡市)等々である。門柱は旧諸岡家のものだけである。

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